project schedule


[studio]での活動は終了しました。
ご来場いただいたみなさん、どうもありがとうございました。

今後、吉原治良賞記念アート・プロジェクト2008では、これまでの[studio]等での活動を元にアーティストが最終計画書を作成し、それをもって審査員による2次選考が行われます。またアーティスト決定後に、別途コーディネーターの審査が行われます。
最終結果は、年明け頃に発表の予定です。

* mixiにもコミュ作ってみました!:吉原治良賞記念AP2008メンバー募集中です。

2007年6月18日


先日6月16日、梅田駅からスカイビルへ向かう仮設通路でのcontact Gonzoを見学してきました。今回はそのレビューを書いてみようと思います。


この場所は人が多く行き交う場所であり、Gonzoの最中も人が途切れることは無かった。
私がGonzoを見る際、Gonzoをしている彼らよりも、周囲のリアクションが気になってしまう。
それは彼らがcontact Gonzoとは何かと必死に模索しているのと私も変わらず、それが一体何なのか、その周囲に答えを求めているだけに過ぎないのかも知れない。

しかし、Gonzoを取り巻く周囲の環境や人々のリアクションは、多くのことを私に気づかせてくれる。
この場所は、両サイドをフェンスが塞ぎ、道幅は5メートル程度である。Gonzoは流動的に動くため、しばしば歩く人を立ち止まらせ、その歩行を妨げた。奇しくもこのフェンスにはカレイドスコープの際の作品が描かれてあった。

20代後半の男二人が殴りあう光景を、私は今までまじまじと眺めたことはなかった。
通りを歩く人にも恐らく同じように写るのではないだろうか。それも、私に見えているよりも、より暴力的で危険なものに。
ある人はGonzoの脇を足早に通り抜け、ある人は知らん顔でただただ通り過ぎる。ごく稀に立ち止まって見ている人も居れば、笑いを堪えている人も居た。

どんなに通行の邪魔でも、どんなに視界に入ってくるのが嫌でも、どんなに興味があっても、Gonzoの最中に話しかける人は居ない。
深層心理の中に、巻き込まれる危険性を抱いているのだ。
contact Gonzo本人も含め、誰もがこの行為が何なのか分からずに、そのままcontact Gonzoは続いていく。

私はその周辺のリアクションを観察するうちに、contact Gonzoの謳う「痛みの哲学」「接触の技法」よりも、“面倒くさいものには関わらない”“痛いことは極力避ける”という、現代人の抱える暗黙のルールのようなものが浮き出て来るのを感じた。

誰もがその光景に疑問を感じる。

-何か喧嘩している?
-何してるの、あの人たち。
-おかしいんじゃないの?
-あー、怖い。
-むっちゃオモロい。

しかし、疑問を持ってもcontact Gonzoには近づけない。自分が痛い思いをするかもしれないから。
それなら他人として関わりを持たない方が、明らかに利口だ。
無言でも、その気持ちが見てとれる。

商店街が荒廃し、極力人と関わらずに買い物ができるスーパーマーケットやネットショップが普及してきたように、私生活で人と接触する機会が少なくなった今日に於いて、この周囲のリアクションは現代社会を写す鏡と成り得ている気がする。

contact Gonzoを人が多い場所で行うと、そう見える。あくまでもいち個人の感想であるが。
ただ、見る人を選ぶ行為であるが故、youtubeでの動画配信は、ごく自然で必然的なもののように思う。


「どのくらいの強さで殴ったら怪我するか、知ってますか?」


七九式さんの言葉に、私は何も答えられなかった。



http://www.youtube.com/watch?v=JE6169lckoA
http://www.youtube.com/watch?v=uZvVDuAAbUU


(山下 智博)




■山本握微による「運動展'007」「方法にホウホウと感嘆するのは簡単なこと」の展示が22日からstudioにて開始されます。是非ご来場ください。
2007年6月22日(金)~24日(日) 6月29日(金)~7月1日(日)
open:13:00 - 20:00
※6月30日18:00より「運動会-rehearsal version-」開演(1時間程度)
http://www.kiwamari.org/

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