8月29日(水)の夜に、山本握微さんの「レクチャーしなくちゃvol.3」が開かれました。
今回は、同じく吉原AP入選作家である藤井光さんを招いてメディア・アートについてレクチャーを受けたあと、芸術とは何かについて、握微さんとの討論がなされました。
前半の藤井さんのレクチャーでは、ヨーロッパを中心としたアーティストの紹介等が行われました。バンクシーやThe Yes Men、比嘉豊光、IRWINなどが取り上げられてました。メディア・アートとして普通、例にあがるような作家さんたちというより、藤井さんの好みが表れたラインナップで興味深かったです。
(ちなみにIRWINは2003年に京都に来ていて、私はその時コーディネーターだったのでとても懐かしく思い出しました。)
芸術とは、アートとは何かというテーマは、アーティストにもそれらに携わる人にとっても、ずっと心に中にあるものだと思うのですが、それに対してどのような形であれ答えようとする姿勢というのは忘れてはいけないなぁと改めて思いました。基本中の基本ですが。
昔、尊敬する先生に「芸術の意味とは何でしょうか」とものすごく短絡的に聞いた時に、「自分の感覚を広げてくれるものでしょう。温泉につかっていい気分の時に、自分の体が溶けて世界の果てまで広がっていくような感覚。芸術は、そのような感覚をもたらせてくれるものだと思う。」と答えてくれました。これだと温泉も芸術か、ということになりそうですが、多分、そうなのでしょう。というか、別にそれでもいいと今は思っています。ひとが決める芸術の範囲なんてたかが知れているので、その時から私はあまり深刻に悩まなくなったのですが、真剣に考えることは大事だなと今回のレクチャーを聞いていて思ったのでした。
吉原治良が言った「ひとのまねをするな」はとてもキャッチーでよいスローガンになると思うのですが、ひとのまねをしないことが本当に可能か、真のオリジナリティがどこにあるのか、は永遠のテーマかもしれません。これについては、またちょっと考えてみたいと思います。それがアートとは何か、を考えることにも通じているように思うので。まとまってなくてすみません。
また藤井さんの「芸術裁判」プロジェクトは新しい局面をむかえているようです。これも、裁判をおこすことの意味は、芸術とは?アートとは?を社会に問うことにあるのかもしれません。また詳しくは後ほど。
project schedule
[studio]での活動は終了しました。
ご来場いただいたみなさん、どうもありがとうございました。
今後、吉原治良賞記念アート・プロジェクト2008では、これまでの[studio]等での活動を元にアーティストが最終計画書を作成し、それをもって審査員による2次選考が行われます。またアーティスト決定後に、別途コーディネーターの審査が行われます。
最終結果は、年明け頃に発表の予定です。
* mixiにもコミュ作ってみました!:吉原治良賞記念AP2008メンバー募集中です。
2007年8月28日
ほねっこ食べて・・・明日のレクチャー宣伝文。
山本握微、改メ、ら氏より明日のレクチャーの宣伝文が届きました。
明日、ぜひお越しくださいませ!
-------------------------
僕は毎日、朝起きて、ほねっこ食べて、芸術について考え、ぱーっとして、ほねっこ食べて、芸術について考え、あくびして、ほねっこ食べて、芸術について考え、お出かけして、ほねっこ食べて、芸術について考え、テレビ見て、ほねっこ食べて、芸術について考え、なんや今日疲れたなあー、と芸術について考る、といった生活を繰り返している。それくらい、芸術について考えているのだから、既に深い知見を会得していても良さそうなものだが、記憶力の悪い僕にとってその時間の大半は、忘れてしまったそれまでの思考を思い出すことに費やされ、目立った進歩はない。踏台昇降運動の如く。
それはともかく、「芸術とは何か」を問い、解き、説くことは僕にとって魅力的なことだ。芸術作品を制作したり、鑑賞するよりも。ところが、意外にも世間はそうではないのか。場合によっては愚問と扱われたりもする。
何故か。ほねっこ食べて、その理由を考えてみた。取り急ぎ思いついた3つ。
芸術とひとくちに言っても、色々あるのが原因のひとつか。アーティストといっても、おいは造形、あちきは写真、といった具合に、何かしらのジャンルに所属している。それについて考えるだけで充分だ。造形も写真も、それだけで考えきれないほど、考えるべきことがある。そちらの方が、より具体的で有意義かもしれない。それに較べると、芸術についてのみの思考は抽象的過ぎる。
芸術が高尚とされているのもそのひとつか。芸術が、本当に高尚かどうか、これは大いに考えるべき問題で、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。最近、ほねっこ食べて僕が思うところ、これまで芸術は高尚ではない派だったが、高尚派に転向しつつある。でもまあ、真実はわからない。ただ、何故か芸術は高尚であると一般的に認知されている。俺は高尚だぜ、という言説で芸術を高尚とするのはいいのだけれど、ちょっとイラつくのは「僕のやることは芸術なんて大層なものではなく……」という自分を謙虚な文脈に置くために芸術を高尚に祭り上げる、というパターンだ(なので、芸術は低俗、と言う人は、自分の表現を芸術と言うので、高尚派と本質的に何ら変わりは無い)。話は逸れたが、高尚ゆえに「芸術とは何か」という問いは、忌避されやすい。
あと、高尚ともちょっと関連しているのだが、芸術は、自然にやるってのが、ひとつの倫理とされていることだ。作為をみだりに匂わせてはならない。気付いたら絵を描いてました、というような。僕が「普通芸術」って言葉を使うと、「ええ、芸術は普通ですとも。私にとって表現は必然であり、ごく普通のことです」と得意そうに返す手合いがいる。こうした連中は、「芸術とは何か」について積極的に問おうとはしない。僕は決してそうした意見に反対しているわけでもなく、確かに芸術は自然にやるべきものかもしれない。ただ、そうではないかもしれない。
何の話だったかな。ほねっこ食べて、そうそう、「芸術とは何か」という問いは、何故世間ではそんなに発せられないのか、その理由だ。そういうことかもしれない。いやいや、僕が知らないだけで、巷は芸術とは何かという話題で持ちきりかもしれない。
さて、だからこそ、レクチャーしなくちゃ。3回目の講師は、メディア・アーティストの藤井光さん。藤井さんのプロフィールについては、吉原治良賞公式サイトなどでご確認ください。
まず、藤井さんに「メディア・アート」とは何かを、海外の事例、及び藤井さん自身の作品を紹介していただいた上で、講義してもらいます。日本で、メディアアートというと単に、コンピューターやモニターなど、かつての絵筆や写真機に比べて新しい技術や機材を用いた表現、という風に僕も解釈していましたが、本当はそれだけじゃないみたい。
続く後半では、いよいよ「アート」とは何かに迫ります。藤井さんの講義に、僕が抗議する形で進行するかもしれません。どういう風に話が落ち着くか、これはまだわかりません。ただ、キーワードは「を、も、作品とする」になるかもしれない。
もうすぐ電車が会社の最寄り駅に着くから、ほねっこ食べて、妄想で言い切りますが、既に多種多様極まる現代の芸術を、しかし芸術作品たらしめているのは、飽くまでクラシカルな制度でしょう。わかりやすく言えば、どんな行為でも、それが美術館に陳列される絵画と思う。そのように扱う、批評する。どんな行為「を、も、作品とする」。
「を、も、作品とする」はしかし、飽くまで、芸術家が嫌いそうな「制度」を地盤とする。「を、も、作品とする」でいいのかな。寧ろ戦略的に、そうした方がいいのかな。そんなことあたりから、藤井さんにお願いしたいと思います。
もう、電車は着いて、駅のベンチ。会社へ戻ります。とにかく、面白い話が聞けそうなので、是非ご来場くださいませ。
明日、ぜひお越しくださいませ!
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僕は毎日、朝起きて、ほねっこ食べて、芸術について考え、ぱーっとして、ほねっこ食べて、芸術について考え、あくびして、ほねっこ食べて、芸術について考え、お出かけして、ほねっこ食べて、芸術について考え、テレビ見て、ほねっこ食べて、芸術について考え、なんや今日疲れたなあー、と芸術について考る、といった生活を繰り返している。それくらい、芸術について考えているのだから、既に深い知見を会得していても良さそうなものだが、記憶力の悪い僕にとってその時間の大半は、忘れてしまったそれまでの思考を思い出すことに費やされ、目立った進歩はない。踏台昇降運動の如く。
それはともかく、「芸術とは何か」を問い、解き、説くことは僕にとって魅力的なことだ。芸術作品を制作したり、鑑賞するよりも。ところが、意外にも世間はそうではないのか。場合によっては愚問と扱われたりもする。
何故か。ほねっこ食べて、その理由を考えてみた。取り急ぎ思いついた3つ。
芸術とひとくちに言っても、色々あるのが原因のひとつか。アーティストといっても、おいは造形、あちきは写真、といった具合に、何かしらのジャンルに所属している。それについて考えるだけで充分だ。造形も写真も、それだけで考えきれないほど、考えるべきことがある。そちらの方が、より具体的で有意義かもしれない。それに較べると、芸術についてのみの思考は抽象的過ぎる。
芸術が高尚とされているのもそのひとつか。芸術が、本当に高尚かどうか、これは大いに考えるべき問題で、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。最近、ほねっこ食べて僕が思うところ、これまで芸術は高尚ではない派だったが、高尚派に転向しつつある。でもまあ、真実はわからない。ただ、何故か芸術は高尚であると一般的に認知されている。俺は高尚だぜ、という言説で芸術を高尚とするのはいいのだけれど、ちょっとイラつくのは「僕のやることは芸術なんて大層なものではなく……」という自分を謙虚な文脈に置くために芸術を高尚に祭り上げる、というパターンだ(なので、芸術は低俗、と言う人は、自分の表現を芸術と言うので、高尚派と本質的に何ら変わりは無い)。話は逸れたが、高尚ゆえに「芸術とは何か」という問いは、忌避されやすい。
あと、高尚ともちょっと関連しているのだが、芸術は、自然にやるってのが、ひとつの倫理とされていることだ。作為をみだりに匂わせてはならない。気付いたら絵を描いてました、というような。僕が「普通芸術」って言葉を使うと、「ええ、芸術は普通ですとも。私にとって表現は必然であり、ごく普通のことです」と得意そうに返す手合いがいる。こうした連中は、「芸術とは何か」について積極的に問おうとはしない。僕は決してそうした意見に反対しているわけでもなく、確かに芸術は自然にやるべきものかもしれない。ただ、そうではないかもしれない。
何の話だったかな。ほねっこ食べて、そうそう、「芸術とは何か」という問いは、何故世間ではそんなに発せられないのか、その理由だ。そういうことかもしれない。いやいや、僕が知らないだけで、巷は芸術とは何かという話題で持ちきりかもしれない。
さて、だからこそ、レクチャーしなくちゃ。3回目の講師は、メディア・アーティストの藤井光さん。藤井さんのプロフィールについては、吉原治良賞公式サイトなどでご確認ください。
まず、藤井さんに「メディア・アート」とは何かを、海外の事例、及び藤井さん自身の作品を紹介していただいた上で、講義してもらいます。日本で、メディアアートというと単に、コンピューターやモニターなど、かつての絵筆や写真機に比べて新しい技術や機材を用いた表現、という風に僕も解釈していましたが、本当はそれだけじゃないみたい。
続く後半では、いよいよ「アート」とは何かに迫ります。藤井さんの講義に、僕が抗議する形で進行するかもしれません。どういう風に話が落ち着くか、これはまだわかりません。ただ、キーワードは「を、も、作品とする」になるかもしれない。
もうすぐ電車が会社の最寄り駅に着くから、ほねっこ食べて、妄想で言い切りますが、既に多種多様極まる現代の芸術を、しかし芸術作品たらしめているのは、飽くまでクラシカルな制度でしょう。わかりやすく言えば、どんな行為でも、それが美術館に陳列される絵画と思う。そのように扱う、批評する。どんな行為「を、も、作品とする」。
「を、も、作品とする」はしかし、飽くまで、芸術家が嫌いそうな「制度」を地盤とする。「を、も、作品とする」でいいのかな。寧ろ戦略的に、そうした方がいいのかな。そんなことあたりから、藤井さんにお願いしたいと思います。
もう、電車は着いて、駅のベンチ。会社へ戻ります。とにかく、面白い話が聞けそうなので、是非ご来場くださいませ。
「芸術とは何か、とは何か、とは……とは……はと、アートとは何か」
山本握微、改メ、ら氏の独自企画、レクチャーしなくちゃvol.3が水曜日に開催されます。
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レクチャーしなくちゃ vol.3 「芸術とは何か、とは何か、とは……とは……はと、アートとは何か」
日時:8月29日[水]19:00~(90分予定)・申し込み不要
会場:[studio]
ゲスト:藤井光 (メディア・アーティスト、「吉原治良賞記念アートプロジェクト
2008」入選作家)
進行:山本握微(普通芸術家)
3回目となる「レクチャーしなくちゃ」では、山本と同じ入選アーティストである藤井光を講師として迎えます。
新しい技術や機材を用いた表現、という狭義のメディア・アートではなく、各種の社会制度を内外から実践的に問う「メディア・アート」を、藤井の作品や海外の実例を紹介しながら、掘り下げていきます。その上で、より普遍的で有用な「芸術とは何か」という定義を、改めて模索していきます。
藤井光
「吉原治良賞記念アートプロジェクト2008」参加アーティストの一人。全国の自衛隊駐屯地を前にビデオカメラを構えるパフォーマンス及びその記録映像『飛行少年死す』を「証拠」として、『芸術裁判』の実現を検討中。本プロジェクトでは既に、作田知樹(Arts&Lawディレクター)、森達也(ドキュメンタリー監督、作家)をそれぞれ招いた、公開レクチャーを開催。
山本握微(2007年8月23日より山本握微、改メ、「ら」)
1982年堺生まれ堺育ち、現在会社員。メタシアター専門「劇団乾杯」(作、演出など)、普通芸術「キワマリ」(運動展など)、おはなしや「今地球堂」(街頭紙芝居など)等で活動。現在、共有作業室「台美術」(南森町)が拠点。
キワマリ http://www.kiwamari.org/
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レクチャーしなくちゃ vol.3 「芸術とは何か、とは何か、とは……とは……はと、アートとは何か」
日時:8月29日[水]19:00~(90分予定)・申し込み不要
会場:[studio]
ゲスト:藤井光 (メディア・アーティスト、「吉原治良賞記念アートプロジェクト
2008」入選作家)
進行:山本握微(普通芸術家)
3回目となる「レクチャーしなくちゃ」では、山本と同じ入選アーティストである藤井光を講師として迎えます。
新しい技術や機材を用いた表現、という狭義のメディア・アートではなく、各種の社会制度を内外から実践的に問う「メディア・アート」を、藤井の作品や海外の実例を紹介しながら、掘り下げていきます。その上で、より普遍的で有用な「芸術とは何か」という定義を、改めて模索していきます。
藤井光
「吉原治良賞記念アートプロジェクト2008」参加アーティストの一人。全国の自衛隊駐屯地を前にビデオカメラを構えるパフォーマンス及びその記録映像『飛行少年死す』を「証拠」として、『芸術裁判』の実現を検討中。本プロジェクトでは既に、作田知樹(Arts&Lawディレクター)、森達也(ドキュメンタリー監督、作家)をそれぞれ招いた、公開レクチャーを開催。
山本握微(2007年8月23日より山本握微、改メ、「ら」)
1982年堺生まれ堺育ち、現在会社員。メタシアター専門「劇団乾杯」(作、演出など)、普通芸術「キワマリ」(運動展など)、おはなしや「今地球堂」(街頭紙芝居など)等で活動。現在、共有作業室「台美術」(南森町)が拠点。
キワマリ http://www.kiwamari.org/
2007年8月2日
contact Gonzo rules!!
うれしいお知らせがあります!
contact Gonzoが先月29日に行われた「720アワード@pamo2007」にて大賞を受賞しました!!!
その時の映像を、Youtubeで見ることができます。
contact Gonzo / damaged sons on border (1of 2)
contact Gonzo / damaged sons on border (1of 2)
そして今日は、昨夜の森さんを招いてのトークの興奮さめやらぬ中、藤井光さんとcontact Gonzoさんは、午前中からGonzoの聖地・扇町公演にて撮影を行っています。これは、吉原APの本筋とは全然関係ないのですが、この2組が独自に進めているプロジェクトです。こちらの内容についても、また徐々にご紹介したいと思っています。(すごく面白いことをしようとしています。早く言いたい・・・ウズウズ・・・)
Gonzoは、明後日8月4日には、びわこホールのイベントに出演します。
8月 4日(土)12:00 大橋可也振付/東野祥子ソロダンス・contact Gonzo
なんと無料!ブレイク寸前のcontact Gonzoにぜひご注目ください。
contact Gonzoが先月29日に行われた「720アワード@pamo2007」にて大賞を受賞しました!!!
その時の映像を、Youtubeで見ることができます。
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contact Gonzo / damaged sons on border (1of 2)
そして今日は、昨夜の森さんを招いてのトークの興奮さめやらぬ中、藤井光さんとcontact Gonzoさんは、午前中からGonzoの聖地・扇町公演にて撮影を行っています。これは、吉原APの本筋とは全然関係ないのですが、この2組が独自に進めているプロジェクトです。こちらの内容についても、また徐々にご紹介したいと思っています。(すごく面白いことをしようとしています。早く言いたい・・・ウズウズ・・・)
Gonzoは、明後日8月4日には、びわこホールのイベントに出演します。
8月 4日(土)12:00 大橋可也振付/東野祥子ソロダンス・contact Gonzo
なんと無料!ブレイク寸前のcontact Gonzoにぜひご注目ください。
満員御礼
今日のレクチャーは、本当にたくさんの方にお越しいただきました。(狭い、暑い、さらに前半は一部聞こえにくかったりと、いろいろお迷惑おかけしましたが、、、)とても有意義で重要なキーワードがたくさん隠されているトーク・セッションになったと思います。
いろいろ書きたいことはあるのですが、私の中でまだ消化しきれていないので、詳しくは後日改めますが、今後、美術が社会の中で担っていく役割などについて意識させられる部分が多かったように思いました。いろんな要素がてんこもりだったので、見に来ていただいた方それぞれの中で、印象に残っている部分が全く違うのではないでしょうか。またご意見、ご感想などもお寄せください。
いろいろ書きたいことはあるのですが、私の中でまだ消化しきれていないので、詳しくは後日改めますが、今後、美術が社会の中で担っていく役割などについて意識させられる部分が多かったように思いました。いろんな要素がてんこもりだったので、見に来ていただいた方それぞれの中で、印象に残っている部分が全く違うのではないでしょうか。またご意見、ご感想などもお寄せください。
2007年8月1日
本日のトーク・セッション
2007年7月30日
萌の朱雀
今日は、[studio」で"夢をみる夢"の高橋耕平さんと、現美センターの正木さんと打ち合わせをしました。"夢をみる夢"の非公開レクチャーの段取りについての話し合いです。懸案だった場所の問題もクリアーできて、内容も固められそうです。(>山下さん また報告します。)
ちなみに"夢をみる夢"の「3つの共有計画」のうちのひとつ、富士登山は8月11日に決行予定だそうです。さてさて3人は別々のところから出発し、無事、山頂で落ち合うことができるのか・・・楽しみです!
で、全く関係なく高橋さんとべらべらしゃべっていた時に、田舎の話になって、私の実家は河瀬直美監督の『萌の朱雀』のところですよ。というと、高橋さんも泣きましたとのことで意気投合!私はあの映画、自分のために作られた映画だと秘かに思っているぐらい思い入れがあるのです。近所の人もたくさん出ているし、今はもうない幼稚園もバスが通っていた道もどれもなんとも言えない気分にさせてくれるものでした。久しぶりに見ようかな。
そして明日31日は、藤井光さんのレクチャーが神戸大学であります。明後日1日の森達也さんをむかえてのトークの前ですが、こちらもぜひお越しください。
【芸術裁判】レクチャー 藤井光
【日時】2007年7月31日(火)15:30~17:30
【場所】神戸大学発達科学部C棟(音楽棟)101教室(無料)
【お問い合わせ】yamazakimama@hotmail.co.jp
ちなみに"夢をみる夢"の「3つの共有計画」のうちのひとつ、富士登山は8月11日に決行予定だそうです。さてさて3人は別々のところから出発し、無事、山頂で落ち合うことができるのか・・・楽しみです!
で、全く関係なく高橋さんとべらべらしゃべっていた時に、田舎の話になって、私の実家は河瀬直美監督の『萌の朱雀』のところですよ。というと、高橋さんも泣きましたとのことで意気投合!私はあの映画、自分のために作られた映画だと秘かに思っているぐらい思い入れがあるのです。近所の人もたくさん出ているし、今はもうない幼稚園もバスが通っていた道もどれもなんとも言えない気分にさせてくれるものでした。久しぶりに見ようかな。
そして明日31日は、藤井光さんのレクチャーが神戸大学であります。明後日1日の森達也さんをむかえてのトークの前ですが、こちらもぜひお越しください。
【芸術裁判】レクチャー 藤井光
【日時】2007年7月31日(火)15:30~17:30
【場所】神戸大学発達科学部C棟(音楽棟)101教室(無料)
【お問い合わせ】yamazakimama@hotmail.co.jp
2007年7月22日
『芸術裁判』レクチャー 神戸大学 発達科学部
8月1日の森達也さんを迎えてのトークの前日に、藤井光さんが、以下の内容でレクチャーをされます。
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メディア・アートの発展系として、アートプロジェクト『芸術裁判』では芸術 の理論レベルの立ち後れを象徴する「法の対象としての芸術」を問うため、現実の裁判を行う準備を進めています。
神戸大学では「リバースエンジニアリング」「マッシュアップ」などデジタルカルチャーのキーワードと共に法律(ソースコード)をめぐる『芸術裁判』の可能性を ディスカション形式で議論していきます。
【芸術裁判】レクチャー 藤井光
【日時】2007年7月31日(火)15:30~17:30
【場所】神戸大学発達科学部C棟(音楽棟)101教室(無料)
【アクセス】http://www.h.kobe-u.ac.jp/292
阪急電鉄 「六甲」駅/JR西日本 「六甲道」駅/阪神電鉄 「御 影」駅
神戸市バスの36系統「神大発達科学部前」下車、徒歩すぐ
【お問い合わせ】yamazakimama@hotmail.co.jp
【協力】神戸レオポン学校
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メディア・アートの発展系として、アートプロジェクト『芸術裁判』では芸術 の理論レベルの立ち後れを象徴する「法の対象としての芸術」を問うため、現実の裁判を行う準備を進めています。
神戸大学では「リバースエンジニアリング」「マッシュアップ」などデジタルカルチャーのキーワードと共に法律(ソースコード)をめぐる『芸術裁判』の可能性を ディスカション形式で議論していきます。
【芸術裁判】レクチャー 藤井光
【日時】2007年7月31日(火)15:30~17:30
【場所】神戸大学発達科学部C棟(音楽棟)101教室(無料)
【アクセス】http://www.h.kobe-u.ac.jp/292
阪急電鉄 「六甲」駅/JR西日本 「六甲道」駅/阪神電鉄 「御 影」駅
神戸市バスの36系統「神大発達科学部前」下車、徒歩すぐ
【お問い合わせ】yamazakimama@hotmail.co.jp
【協力】神戸レオポン学校
2007年7月20日
トーク・セッション:『メディアの暴力性・映像の可能性』

山本握微さんの展覧会、絶賛公開中です。レビューはまた、のちほど。
この展覧会が終わっても、ぞくぞくとイベント、展覧会が続きます。
次は、以下のイベントです。定員に達し次第、締切ますので、お申込みはお早めに!
このトーク・セッションでは、吉原入選作家である藤井光の作品、国(自衛隊)が下した撮影禁止命令を拒否し制作したという問題作「飛行少年死す」を上映し、映像や言語によってさまざまな社会問題やブーに取り組んでこられた森達也氏を迎え意見交換を行います。またその他、公共や自主規制等のキワードからも議論を展開し、現代における映像の役割、映像と真実の関係や表現としての可能性について考えたいと思います。
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トーク・セッション:『メディアの暴力性・映像の可能性』
日 時:2007年8月1日(水) 18:30-21:00 ※途中休憩15分
会 場:[studio]
定 員:20名(要申し込み・定員に達し次第締め切り)・無料
ゲスト:森 達也氏(映画監督 / ドキュメンタリー作家)、藤井 光(吉原治良賞記念AP2008入選作家)
モデレーター:甲斐 賢治(NPO remo 代表理事 / NPO recip 理事)
現在、テレビ番組のデータ捏造問題で顕著など、映像の持つ影響力やその信憑性などに社会的な注目が集まっています。また、法廷の場では証拠として、取り調べの映像が初めて上映されるなど、今日における社会問題のひとつとして、「映像:メディア」の本質や役割を考えさせられる場面は数多くあります。セッションでは映画監督でありドキュメンタリー作家である森達也氏をお迎えし、本プロジェクト入選作家の一人である藤井光を交え、藤井の作品「飛行少年死す」を取り上げながら、現代における映像と裁判、映像と真実の関係性、およびその表現の可能性について考えていきます。
■お問い合わせ・お申込みは……
TEL =06-4790-8520(10:00~18:00) E-mai l = info@osaka-art.jp
大阪府立現代美術センター「吉原治良賞記念アート・プロジェクト2008」係 ※定員に達し次第締め切ります。
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2007年7月10日
ビビんなくていい
日曜日、「アートのための法律相談所」にたくさんのご来場、ありがとうございました。わざわざ東京から来てくださった方もいたと聞いて、やはりこういったトピックを扱う催しがまだまだ少ないのだなと実感しました。アートと法律は、私の中ではもっとも縁遠いというか、実際にはいろいろ問題がある割に全く別の相いれないもの同士のような気がしていて、一番端と端にあるものを一緒に考えようとすること自体に感心してしまいました。
講師で来ていただいた作田さんのお話にもあったように、法律は最終的には思考を止めるためのものなので、それを促進しようとするアートとは真逆にあるのかもしれません。でもそれゆえに、そこで挑戦することの意義もあり、そこでしか見えてこないこともあるからこそ、藤井さんのプロジェクトの面白さや動機がどのようなものなのか伝わるような気がしました。
作田さんのお話の中ででてきた、「芸術の分野で訴えられることが実際にはほとんどない」、ということ「アーティストはビビんなくていい」というのは目から鱗の感がありました。それに、藤井さんの今回のプロジェクトの最終目標のためには、実際に裁判を行う必要があるわけですが、それがなかなか難しいということが改めて理解できました。芸術を法の対象として論じる前に、その状況を作り出すことさえも、です。それも含めてのプロジェクトだからこそ、面白いということもありますが。
でも小心者の私には「ばれなければ大丈夫」という考え方には、若干の戸惑いがあって、アーティストはやりたいことがあって結果としてそうなったのであればそれでいいいかもしれないけど、コーディネーターのようなアーティストの周辺にいる人は本当にそれでいいのかと考えてしまいました。結局は決定権のないコーディネーターは、それによって起こりえる問題や困難をアーティストに伝え、どのように思うかという意見を述べることしかできないのかもしれません。それが重要かつ必要なことであることを願うばかりです。
みなさまからの感想もお待ちしてます!
yamamoto
講師で来ていただいた作田さんのお話にもあったように、法律は最終的には思考を止めるためのものなので、それを促進しようとするアートとは真逆にあるのかもしれません。でもそれゆえに、そこで挑戦することの意義もあり、そこでしか見えてこないこともあるからこそ、藤井さんのプロジェクトの面白さや動機がどのようなものなのか伝わるような気がしました。
作田さんのお話の中ででてきた、「芸術の分野で訴えられることが実際にはほとんどない」、ということ「アーティストはビビんなくていい」というのは目から鱗の感がありました。それに、藤井さんの今回のプロジェクトの最終目標のためには、実際に裁判を行う必要があるわけですが、それがなかなか難しいということが改めて理解できました。芸術を法の対象として論じる前に、その状況を作り出すことさえも、です。それも含めてのプロジェクトだからこそ、面白いということもありますが。
でも小心者の私には「ばれなければ大丈夫」という考え方には、若干の戸惑いがあって、アーティストはやりたいことがあって結果としてそうなったのであればそれでいいいかもしれないけど、コーディネーターのようなアーティストの周辺にいる人は本当にそれでいいのかと考えてしまいました。結局は決定権のないコーディネーターは、それによって起こりえる問題や困難をアーティストに伝え、どのように思うかという意見を述べることしかできないのかもしれません。それが重要かつ必要なことであることを願うばかりです。
みなさまからの感想もお待ちしてます!
yamamoto
2007年7月8日
アートのための法律相談所
昨日に引き続き、今日午後3時からstudioにて、公開レクチャーが行われます。まだ若干空きがありますので、ご興味ある方、お気軽にお越しください。
公開レクチャー②『アートのための法律相談所』
公開レクチャー②『アートのための法律相談所』
講師:作田知樹氏(Arts and Lawエグゼクティヴ・ディレクター)
アーティストが社会の中で表現活動を行うとき、そこには法律という存在が
大きく関わってきます。それは著作権や肖像権、あるいは契約の場面など
で、奇しくも表現の自由と相反する形で現れます。
レクチャーではアーティストがそうした問題と直面した際、どういった措置が
考えられるのかを、アートに関わる現実的な問題に実践的なアドバイスを
提供するArts and Lawの代表を務められる作田知樹氏に、国内・外の
事例を中心に紹介していただくとともに、来場者からの「表現活動と法律」
に関する質問にお応えします。
またプロジェクト入選アーティストの一人である藤井光との対談により、
過去の藤井の作品制作における実例を併せて紹介しながら、問題を
より深く議論していきます。
定員:20名(要申し込み・定員に達し次第締め切り)・無料
yamamoto
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