project schedule


[studio]での活動は終了しました。
ご来場いただいたみなさん、どうもありがとうございました。

今後、吉原治良賞記念アート・プロジェクト2008では、これまでの[studio]等での活動を元にアーティストが最終計画書を作成し、それをもって審査員による2次選考が行われます。またアーティスト決定後に、別途コーディネーターの審査が行われます。
最終結果は、年明け頃に発表の予定です。

* mixiにもコミュ作ってみました!:吉原治良賞記念AP2008メンバー募集中です。

2007年9月1日

今週の夢夢

なんだか、夢をみる夢は、アーティストとしてのキャラが完全に変わってきたように思います。入選展を見て、こんな風になるなんて、誰が予想できたでしょう。。。

昨日の、夢をみる夢、大崎さん、高橋さんの尼崎競艇の模様は、[studio]にて絶賛上映中です。とりあえず、このブログでの紹介は展示が終了してからにいたしましょう。

明日は、来週展示予定のもうひとつの共有計画、「スキルの共有」のための撮影を行うと聞いています。ドイツ語かぁ、もうほとんど忘れたな・・・と思いつつ・・・何をかくそう私、数か月間ベルリンに住んでゲーテにみっちり通って本気でドイツ語やったことあるのですが、討論できるまでになるためには、ソ・ウ・ト・ウの勉強をしなければならないと思います。ええ、かなり。とりあえず私には無理です。
がんばれ夢夢!・・・ということで、来週もお楽しみに。

来週は、イベントもあります。
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関連イベント:夢をみる夢「非公開ミーティングを公開」
2007年9月9日(日)10:00-18:00・参加無料
会場:[studio](中継場所)
ミーティング会場:[studio]の屋上(非公開)

夢をみる夢『3つの共有計画』のドキュメント展示期間中に[studio]の屋上にて、3人によるミーティングを行い、その様子をライブ映像として [studio]内に中継しま す。来場者は直接ミーティングに参加することはできませんが、[studio]内に設置されたPCからのe-mail送信が可能であり、3人はメールの内容にライブで応じていきま す。
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こちらもどうぞよろしくです。

2007年8月31日

物質の共有なるか?

今日から、夢をみる夢の「3つの共有計画」の二つ目、物質の共有はじまりました。
展示の概要は以下です。

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3人が欲しいものを共同購入することを目的にします。本プロジェクトの活動支援金である10万円を3人で等分した金額¥33,333(端数の1円は現在 studioに展示中)をそれぞれの方法で10万円に増やし、合計30万1円で1つの物を購入するまでのプロセスと共有の成果を公開します。
共有物:共同購入した物
ドキュメント:¥33,333を¥100,000に増やす過程を記録した映像、他
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私は先ほど[studio]に着いたのですが、大崎さんと高橋さんは、すぐに出かけていきました。なぜかというと、、、


それぞれが33,333円を10万円に増やして30万円にして何か物質を購入する予定だったのですが、高橋さんが33,333円を夏の思い出作りに使い切っただけだったからです!!!(驚)

そのまま使い切った状態で逃げ切ろうとした(!)高橋さんを無理やりひぱって、2人で尼崎競艇に向いました。大崎さん、田中さんの分、20万円を元手に単賞一点買いだそうです。うーん勝負師。またこの結果はご報告いたします。

現在、[studio]では、大崎さん、田中さんがそれぞれ33,333円を10万円にした方法と、高橋さんが33,333円を如何にして使い切ったかが上映されています。これまた性格がモロに出てます。
本日も24時まで。明日、明後日と続きます。ぜひご高覧ください。

芸術の意味

8月29日(水)の夜に、山本握微さんの「レクチャーしなくちゃvol.3」が開かれました。
今回は、同じく吉原AP入選作家である藤井光さんを招いてメディア・アートについてレクチャーを受けたあと、芸術とは何かについて、握微さんとの討論がなされました。


前半の藤井さんのレクチャーでは、ヨーロッパを中心としたアーティストの紹介等が行われました。バンクシーやThe Yes Men、比嘉豊光、IRWINなどが取り上げられてました。メディア・アートとして普通、例にあがるような作家さんたちというより、藤井さんの好みが表れたラインナップで興味深かったです。
(ちなみにIRWINは2003年に京都に来ていて、私はその時コーディネーターだったのでとても懐かしく思い出しました。)

芸術とは、アートとは何かというテーマは、アーティストにもそれらに携わる人にとっても、ずっと心に中にあるものだと思うのですが、それに対してどのような形であれ答えようとする姿勢というのは忘れてはいけないなぁと改めて思いました。基本中の基本ですが。

昔、尊敬する先生に「芸術の意味とは何でしょうか」とものすごく短絡的に聞いた時に、「自分の感覚を広げてくれるものでしょう。温泉につかっていい気分の時に、自分の体が溶けて世界の果てまで広がっていくような感覚。芸術は、そのような感覚をもたらせてくれるものだと思う。」と答えてくれました。これだと温泉も芸術か、ということになりそうですが、多分、そうなのでしょう。というか、別にそれでもいいと今は思っています。ひとが決める芸術の範囲なんてたかが知れているので、その時から私はあまり深刻に悩まなくなったのですが、真剣に考えることは大事だなと今回のレクチャーを聞いていて思ったのでした。

吉原治良が言った「ひとのまねをするな」はとてもキャッチーでよいスローガンになると思うのですが、ひとのまねをしないことが本当に可能か、真のオリジナリティがどこにあるのか、は永遠のテーマかもしれません。これについては、またちょっと考えてみたいと思います。それがアートとは何か、を考えることにも通じているように思うので。まとまってなくてすみません。

また藤井さんの「芸術裁判」プロジェクトは新しい局面をむかえているようです。これも、裁判をおこすことの意味は、芸術とは?アートとは?を社会に問うことにあるのかもしれません。また詳しくは後ほど。

2007年8月28日

ほねっこ食べて・・・明日のレクチャー宣伝文。

山本握微、改メ、ら氏より明日のレクチャーの宣伝文が届きました。
明日、ぜひお越しくださいませ!

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 僕は毎日、朝起きて、ほねっこ食べて、芸術について考え、ぱーっとして、ほねっこ食べて、芸術について考え、あくびして、ほねっこ食べて、芸術について考え、お出かけして、ほねっこ食べて、芸術について考え、テレビ見て、ほねっこ食べて、芸術について考え、なんや今日疲れたなあー、と芸術について考る、といった生活を繰り返している。それくらい、芸術について考えているのだから、既に深い知見を会得していても良さそうなものだが、記憶力の悪い僕にとってその時間の大半は、忘れてしまったそれまでの思考を思い出すことに費やされ、目立った進歩はない。踏台昇降運動の如く。

 それはともかく、「芸術とは何か」を問い、解き、説くことは僕にとって魅力的なことだ。芸術作品を制作したり、鑑賞するよりも。ところが、意外にも世間はそうではないのか。場合によっては愚問と扱われたりもする。

 何故か。ほねっこ食べて、その理由を考えてみた。取り急ぎ思いついた3つ。

 芸術とひとくちに言っても、色々あるのが原因のひとつか。アーティストといっても、おいは造形、あちきは写真、といった具合に、何かしらのジャンルに所属している。それについて考えるだけで充分だ。造形も写真も、それだけで考えきれないほど、考えるべきことがある。そちらの方が、より具体的で有意義かもしれない。それに較べると、芸術についてのみの思考は抽象的過ぎる。

 芸術が高尚とされているのもそのひとつか。芸術が、本当に高尚かどうか、これは大いに考えるべき問題で、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。最近、ほねっこ食べて僕が思うところ、これまで芸術は高尚ではない派だったが、高尚派に転向しつつある。でもまあ、真実はわからない。ただ、何故か芸術は高尚であると一般的に認知されている。俺は高尚だぜ、という言説で芸術を高尚とするのはいいのだけれど、ちょっとイラつくのは「僕のやることは芸術なんて大層なものではなく……」という自分を謙虚な文脈に置くために芸術を高尚に祭り上げる、というパターンだ(なので、芸術は低俗、と言う人は、自分の表現を芸術と言うので、高尚派と本質的に何ら変わりは無い)。話は逸れたが、高尚ゆえに「芸術とは何か」という問いは、忌避されやすい。

 あと、高尚ともちょっと関連しているのだが、芸術は、自然にやるってのが、ひとつの倫理とされていることだ。作為をみだりに匂わせてはならない。気付いたら絵を描いてました、というような。僕が「普通芸術」って言葉を使うと、「ええ、芸術は普通ですとも。私にとって表現は必然であり、ごく普通のことです」と得意そうに返す手合いがいる。こうした連中は、「芸術とは何か」について積極的に問おうとはしない。僕は決してそうした意見に反対しているわけでもなく、確かに芸術は自然にやるべきものかもしれない。ただ、そうではないかもしれない。

 何の話だったかな。ほねっこ食べて、そうそう、「芸術とは何か」という問いは、何故世間ではそんなに発せられないのか、その理由だ。そういうことかもしれない。いやいや、僕が知らないだけで、巷は芸術とは何かという話題で持ちきりかもしれない。

 さて、だからこそ、レクチャーしなくちゃ。3回目の講師は、メディア・アーティストの藤井光さん。藤井さんのプロフィールについては、吉原治良賞公式サイトなどでご確認ください。

 まず、藤井さんに「メディア・アート」とは何かを、海外の事例、及び藤井さん自身の作品を紹介していただいた上で、講義してもらいます。日本で、メディアアートというと単に、コンピューターやモニターなど、かつての絵筆や写真機に比べて新しい技術や機材を用いた表現、という風に僕も解釈していましたが、本当はそれだけじゃないみたい。
 続く後半では、いよいよ「アート」とは何かに迫ります。藤井さんの講義に、僕が抗議する形で進行するかもしれません。どういう風に話が落ち着くか、これはまだわかりません。ただ、キーワードは「を、も、作品とする」になるかもしれない。
 もうすぐ電車が会社の最寄り駅に着くから、ほねっこ食べて、妄想で言い切りますが、既に多種多様極まる現代の芸術を、しかし芸術作品たらしめているのは、飽くまでクラシカルな制度でしょう。わかりやすく言えば、どんな行為でも、それが美術館に陳列される絵画と思う。そのように扱う、批評する。どんな行為「を、も、作品とする」。
 「を、も、作品とする」はしかし、飽くまで、芸術家が嫌いそうな「制度」を地盤とする。「を、も、作品とする」でいいのかな。寧ろ戦略的に、そうした方がいいのかな。そんなことあたりから、藤井さんにお願いしたいと思います。

 もう、電車は着いて、駅のベンチ。会社へ戻ります。とにかく、面白い話が聞けそうなので、是非ご来場くださいませ。

「芸術とは何か、とは何か、とは……とは……はと、アートとは何か」

山本握微、改メ、ら氏の独自企画、レクチャーしなくちゃvol.3が水曜日に開催されます。

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レクチャーしなくちゃ vol.3 「芸術とは何か、とは何か、とは……とは……はと、アートとは何か」
日時:8月29日[水]19:00~(90分予定)・申し込み不要 
会場:[studio]
ゲスト:藤井光 (メディア・アーティスト、「吉原治良賞記念アートプロジェクト
2008」入選作家)
進行:山本握微(普通芸術家)

3回目となる「レクチャーしなくちゃ」では、山本と同じ入選アーティストである藤井光を講師として迎えます。
新しい技術や機材を用いた表現、という狭義のメディア・アートではなく、各種の社会制度を内外から実践的に問う「メディア・アート」を、藤井の作品や海外の実例を紹介しながら、掘り下げていきます。その上で、より普遍的で有用な「芸術とは何か」という定義を、改めて模索していきます。


藤井光
「吉原治良賞記念アートプロジェクト2008」参加アーティストの一人。全国の自衛隊駐屯地を前にビデオカメラを構えるパフォーマンス及びその記録映像『飛行少年死す』を「証拠」として、『芸術裁判』の実現を検討中。本プロジェクトでは既に、作田知樹(Arts&Lawディレクター)、森達也(ドキュメンタリー監督、作家)をそれぞれ招いた、公開レクチャーを開催。


山本握微(2007年8月23日より山本握微、改メ、「ら」)
1982年堺生まれ堺育ち、現在会社員。メタシアター専門「劇団乾杯」(作、演出など)、普通芸術「キワマリ」(運動展など)、おはなしや「今地球堂」(街頭紙芝居など)等で活動。現在、共有作業室「台美術」(南森町)が拠点。
キワマリ http://www.kiwamari.org/

2007年8月26日

山本握微、改メ、ら

この度、山本握微氏が改名されました。

その名も「ら」。



山本握微はいい名前だと思っていたので名残惜しいですが、今後とも「ら」氏を全面的に応援しましょう。足をひっぱらないよう気をつけて。


私も改名しようかな・・・それぐらいしか今考えつかないです・・・・

富士山最終日

studioから、山下です。

夢をみる夢の「3つの共有計画」その1、経験の共有の最終日です。
13時より、studio開放でございます。

昨日から始まった世界陸上もさることながら、大阪は今日も暑いですね。
こんな日こそ、富士山を登る3人のアーティストのドキュメンタリー映像を涼しい所で鑑賞しに来ませんか?

最終日といいつつも、テーマを変えて来週、再来週と夢をみる夢の展示は続きますが、富士山編は見ものです。かみ合わない3人の人間ドラマ(?)を見に、studioまでどうぞお越しください。

上映時間は・・・

"夢をみる夢"の「3つの共有計画」にたくさんのご来場ありがとうございます。
会場にはスクリーンが3つあって映像が常時流れていますが、上映時間は約40分です。できれば全部、見てほしい・・・・というか全部見た方が断然面白いです。できるだけ時間に余裕を持ってお越しくださいませ。